pleasewait's diary

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

「日記なら書けるかもしれない」 ―エイム技術と再現性の狭間で

先日の記事は、じつに何日ぶりかもわからない久々のブログ更新でした。ここまでブログ執筆から遠のいてしまった理由は、他にやることが色々とあったからでもありますが、ある憂いを抱え込んでしまったためです。

 

エイムを上達させるための理論や練習手法を紹介する。これは大切な活動のひとつだと考えています。新しく参入してくる人々の助けになり、今活動している人々に対しても、技術の向上やモチベーションの持続に貢献できる可能性があるからです。

しかしながら、仮に自分がどんな練習手法を提案したところで、以下の三本柱を浴びる未来しか見えなくなりました。

  • それが効くかどうかって人それぞれですよね
  • あなたはその練習手法を経て世界一位取ったわけではないですよね
  • すごい人はそんな練習しなくてもすごい人になったわけですよね

…あまりに悲観的でしょうか?これらの指摘に通底するテーマは「再現性」です。

 

自分が何か考えを示すとき、それには多くの前提があります。自分は 24.1 cm / 360 °のマウス感度で、滑りの良いハードマウスパッドを使用し、大きめのエルゴノミクスマウスを掴むように握り、アームカバーを着用し、モニターから遠めに(約 66cm)離れて座り、状況に応じて手首・前腕・肩を使い…といった、様々な前提があります。ここで挙がらなかった、当人ですら気づいていない暗黙の前提さえあることでしょう。

では、自分と同じ前提を持つプレイヤーが世にどれだけいるのでしょうか。ともすれば、二人といないかもしれません。そんな状況において、自分が良いと考えた練習手法を紹介することに、どれだけの意義があるのでしょうか。自分には効果があっても、これを読むあなたには何の恩恵もないかもしれない。なぜなら、前提が違うからです。再現性に欠けるわけです。再現性に欠けるものを、技術と呼べるでしょうか。

医者という存在は、患者一人一人を診るためにあります。でなければ、市販の薬だけで済むはずです。コーチという存在は、選手一人一人を見るためにあります。でなければ、ネットの情報だけで済むはずです。突き詰めてしまえば、各人によって前提が異なり、ゆえに最適な手法も異なってくるわけです。そういった事情に対して誠実であろうとすると、幾重にも予防線を張るような文章になり、読む方はうんざりすることでしょう。

 

今日に至るまで、「熟練者が情報を出してくれない」といった声を少なからず見聞きしました。自分もまた、「情報は発信する者の元に集まる」のだから、「自分のためにも」発信することを良しとする立場でした。しかし、前述のような憂いを抱えてしまうと、やっぱり難しいものですね。きっと、先人たちもそんな壁を感じたのではないでしょうか。書いたところで、前提が違うので誰にも刺さらない。誰にも伝わらない。誰にも理解されない孤独を。ましてや、書くという行為はそれ自体に相応の手間・思考・技術を要するわけですから、それよりも自分自身の活動に身を投じていたいと考えるのは自然なことでしょう。 

そもそもの話、そこまで考える必要があるのだろうか、とさえ思うときがあるのです。こんな嫉妬に駆られたことはありませんか?「なぜあの人は何も考えてなさそうなのに、こんなに上手いのか」と。自分にはあります。お恥ずかしい話です。自分がどれだけ考えを突き詰めようが、そんなことを意に介していないように見える上手い人が現に存在する。この事態をどう解釈すれば良いのでしょうか。

エイムは肉体を介した取り組みです。理論・考察・理解度がそのまま成果に繋がるわけではありません。肉体がそれを成せるようになって、はじめて結果として表れるものです。むしろ何も考えない方が良いでしょう。考えとは迷いです。0.1 秒を刻む世界で物事をやりくりするのですから、考えている暇はありません。これはいわゆる「感覚」であり、どうしても言語化できない暗黙知なのです。

この「感覚」は、練習を経て養う以外にないでしょう。要するに、伝えようとしても、伝わらないのです。何も出し惜しんでいるわけではなく、ただできないからやれていない、それだけの話だったのです。

 

…そんな憂いを抱えながらも、先日ブログを久々に更新したのは、考え方を転換したためです。技術記事ではなく、あくまでも日記としてなら、何か書けるかもしれない。あなたの手元で再現できる技術ではなく、自分がエイムを通じて得た気付きに対する喜びを共有する。そういう意味合いであれば、何か書けるかもしれない。そして、人によっては、そこからヒントを得て技術として役立つかもしれない。自粛して何も書かないよりは、何か書いてあった方が、何かしら機会が生まれるかもしれない。

そんなわけで、ブログ名を「pleasewait's diary」に戻しました。 練習手法の紹介にせよ、デバイスのレビューにせよ、「※これは技術記事ではなく、日記です。」と冒頭に注意書きを加える…というのはやりすぎでしょうが、そういうスタンスでゆるりとやっていけたら良いなと思っています。