仕事を辞めてエイム活動に専念します

ああ、とうとう宣言してしまった。自分はこうやって生きたいんだと、初めて人目に触れる場所に出してしまった。もう後戻りできないなあ。正直言って心細い。そんな未練があってか、エイプリルフールのタイミングに紛れることでそれとなく退路の確保を試みている。でも、これは本当のことだ。

遅かれ早かれ、こうなっていた気がする。

エイム関連の活動、具体的には KovaaK's のエイムシナリオ作成、エイムに関する記事の執筆、エイムを向上させるための試行錯誤などをやっていく。そんなことで食べていけるのか?それはわからない。少なくとも、今の自分はインフルエンサーとしてやっていくだけの数字も人気も実績もない。コンテンツ制作者や研究者として後ろ盾を得る当てもない。ただ、何か良い具合にやっていけたらいいなとは思う。どのみち、こういう生き方しかできないのだろうから。

昔、仕事に就いている頃、学生からインタビューを受ける機会があった。仔細は忘れてしまったが、何かの流れで仕事観について質問をもらったのだと思う。そこで自分は「自分の生きざまが、そのまま仕事になれば良いなと思っています」と答えた。そこだけは今も覚えている。見栄半分、本音半分といった感じだ。

その思いは退職後、競技エイミングの発起、ならびに競技エイミングコミュニティの運営活動という形で現れることになった。それまでありもしなかった「競技エイミング」ということばが、少しずつ認知され、少なからぬ方々のひと時を彩るようになり、活動してよかったなと思う。

当時はオンラインで海外の大会に参加するしかなかったのが、初めて日本で、それもオフラインで開催され、とても印象深く思い出に残っている。余計なお世話だけれども、おそらく採算なんて取れないし、自社新製品発表会の余興という形でしか通せないようなイベント案だったのだろうけれど、それでも実現してくれたことがとてもありがたかった。競技エイミングというアクティビティが、自分以外の誰かに後押しされているようで嬉しかった。

その後には、多くの方々にご協力いただき、競技エイミング大会を実現できた。大会に参加する側だけでなく、運営する側の体験を積むこともできた。ルールを決めるのも運営を回すのも大変だったものの、参加した方々に「楽しかった」と労っていただき、やりがいがあった。

最後は「運営活動への時間が取れなくなった」という形で運営を退かせていただくことになった。しかし、これは前職の貯金が尽きたので働かざるを得ないのが真相であった。様々なゲーミングデバイスを買って試す日々の末、ついに来月のクレジット支払いが銀行の預金残高を超過する日がやってきたのだ。今思えば、ずいぶんと遊び人な生き方だなと思う。それでも、いまだに生きてこれを書いてるのだから、存外しぶといというか何というか。

そしてこの数年、ふたたび働いていた。世間が新型感染症による閉塞感に包まれる時期と重なる。それとは別に、自分もある種の閉塞感を覚えていた。「生きるために生きる日々」とでもいうのだろうか。何のために生きているんだろう?疑念がどうしても脳裏をよぎった。情熱の元となる何かがないと、自分はダメらしい。

このまま「生きるために生きる日々」を続けるなら、今ここでそれを終えても大差ないのではないか?

もし、自分に恋人や子供がいたならば、そういった大切なひとたちのために仕事を頑張る世界線もあったかもしれない。でも、そうはならなかった。残念ながら、自分の人生の意義は自分で考えるしかなかった。

そんなこんなで冒頭の話に戻ってくる。心のどこかでは、自分のような先行者利益だけの存在が居座って幅を利かせても後進の芽を摘むだけであるから、席を空けて後は託そうという思いもあった。しかしながら、その後の競技エイミングはいわゆる幻滅期とでもいうべきか、下火の時期を迎えつつあるようにも見えた。そりゃそうだ。世の中にはたくさん楽しいことがある。数あるアクティビティの中からわざわざ競技エイミングを選ぶ必要もない。

バッタ研究者の方の『私が人類にとってラストチャンスになるかもしれない』という表現を思い出した*1。もしかしたら、自分は競技エイミングにとってラストチャンスなのかもしれない。小さな雪玉が転がって膨れ上がるように、競技エイミングの中心核となる存在が必要なのではないか。腕の巧拙や知名度の有無にかかわらず、「ずっとやってる人」が居ることで、芽吹く何かがあるのではないか。

そんな淡い期待もあり、ふたたびエイム活動に取り組みたいと思い直すに至る。とはいえ、大会やコミュニティの運営は、自分の内向的性分とあまり合わない実感があったため、前述のようなコンテンツ制作といった自分にできる形で貢献していきたい。

ただ、前回のように資金が尽きて活動休止する事態も想定しておかないといけない。まあ、そのときはそのときで、また働けばいいやとも思っている。夢追い系の人たちは、みんなそんな生き方をしているのだろうか?

昔、天文の部活動をしていた頃に読んだプラネタリウムクリエイターの本で『逃げ道はひとつだけ用意しておく』という話が印象に残っている。クリエイターとしての道はうまく行くとは限らないが、「ダメだったらここで働けばいい」という風に逃げ道があれば行き詰らずに済むという。そのために、何かひとつでも手に職をつけておくべきと。かといって、あまり多く選択肢を持ちすぎると、こんどは決心が鈍る。なので『ひとつだけ』。なるほどねと思った。

幸いにして、自分はこれまでやってきた仕事が逃げ道になってくれている。ダメだったら帰ってくればいい。逃げ道があるから、気持ちを割り切って挑戦していけるのかもしれない。