I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

自分の2017年を振り返る

久々にブログを書くような気がする。折り悪くブログから遠ざかる日々が続き、かなり期間が空いてしまったのだった。今年はいろいろなことがあったなあと思いつつ、この一年を振り返ってみたい。

ネトゲしながら歩いて日本縦断

今年の正月は沖縄へ向かうフェリーの上で迎えた。2016年末に終える予定だった旅が長引き、2017年に少しはみ出たのだった。

この旅は、日本全国に点在するネカフェでネトゲ(Overwatch)を遊びながら歩いて日本を縦断しようという試みであった。北海道本島の北端に位置する宗谷岬から出発し、本土最南端である佐多岬と有人島最南端である波照間島を経由し、日本最西端である与那国島を目指すルートである。2016年9月1日から2017年1月5日まで、127日間の旅となった。

上に貼ったMapは計画段階のルートである。宿泊施設は歩きながら調子を見つつ決めるつもりだったので、ルートの傍にあるものを候補として複数拾い上げている。実際のルートは若干異なるので、そのうちまとめておきたい。

各地の宿泊施設やネカフェの位置を洗い出したのち、なるべく最短距離、かつネカフェを経由するようなルートを採用した。1日の工程は30km前後になるよう配慮したものの、宿泊施設等がない場所においては多少頑張って距離を延ばす必要があった。

1日30kmというペースは、先人たちの旅日記などを参考にしている。人の歩く速度がだいたい時速5kmで、1日8時間を移動・昼食・休憩などに割り当てるとするならば、だいたい30~40kmの移動距離が1日の目安になるであろう、という計算である。とはいえ、不慣れな旅の序盤では20km歩くだけでも疲労困憊に陥る有様であった。はたして長い行程をこなせるのか不安があったものの、旅を経るにつれて足腰が順応してきたようで、終盤には50km近くの行程をこなすこともあった。

北海道から本土に上陸するにあたって大間ではなく青森まで進んでいたり、四国から九州に向かう港を三崎ではなく八幡浜にしていたりと、ところどころ陸路を端折るような部分がある。ネカフェを巡る旅という性質を優先し、ゲームできない時間を減らすための行程ではあるが、怠け心の存在をきっぱり否定することはできない。

これまでにランニングや山登りなどを習慣にしていたわけではなかった。ゲームで遊んでばかりのインドア派な生き方である。したがって旅を計画した時点では、なるべく安全側に倒してルートを策定している。野宿をせずなるべく宿泊施設を使う、ネカフェがあってもなるべくホテルでベッドを使って寝る、などの方針をとったのも、多少資金を費やしてでも体力を温存しようという考えであった。なので、バリバリのアウトドアサバイバルな旅だったかというとそういうわけではない。

宿泊施設を調べた上で進んでいたものの、北海道の音威子府では宿を取れなかった。事前に調べていた宿はすでに廃業していた。そういうこともある。街灯のない真っ暗闇の広い公園を、か細いライト片手に恐る恐る進んでいき、寝袋で横になれる場所を見つけて休んだ。予定外かつ初めての野宿で精神的につらいものがあったが、仮眠の間にふと空を見上げてみると、星々の輝きがとても綺麗だったことは印象的だった。

道中は水・食料・トイレが重要だった。バックパックに水と食料を入れて進むことになるが、荷物のスペースと重量を考慮し、食料はカロリーメイトや羊羹などを好んだ。山間部など険しい地形を抜ける道では、お店や公衆トイレなど休憩できる場所がないこともあった。トイレについては携帯トイレを購入して万一の場合に備えたが、毎回携帯トイレを補充するのはお金がかかるということで、途中から空のペットボトルを持ち運ぶようにしている。ネットゲーマーにはお馴染みのいわゆるボトラーであるが、幸いにして使う機会はなかった。

一日の終りまでには寝床と電源も考えなければならない。日が暮れはじめ、疲れ果てた身の視界に飛び込んでくる、ホテルルートインの緑色に光る看板は特別な安堵感を与えてくれた。手ごろな宿泊施設がない場合はネカフェで眠ることもあったが、やはり体力回復量が少なく、翌日の行程に影響を及ぼすことが多かった。キャンプ場に泊まる機会は何度かあったものの、いずれも電源付きで空いているバンガローを借りることができたのは運が良かった。

意外だったこととしては、歩道の整備具合である。街灯や歩道は、それがある方が珍しいのかもしれない。夜になると真っ暗で、手元のライトか行き交う車のライトを頼りにしなければ足元も覚束ないような道がたくさんあった。地方では車での移動が主になるので、歩道の整備などは後回しになるのかもしれない。歩道はあっても、草が裂け目から生い茂る状態になっている場所もあった。

国道といえども歩道があるとは限らず、場所によっては路側帯もほとんどない場合がある。特に、新潟県西部にある親不知子不知は一番の難所であった。自分のとなり50cmあるかないかほどの近くを大型トラックが通過していくのは何度体験しても緊張する瞬間である。例えるなら、朝の通勤ラッシュで人が混み合っているホームの端ぎりぎりを歩くときの感覚を、長距離にわたって味わい続けるようなものだろうか。あそこだけは二度と歩きたくないと思ってしまう。

ひやりとする場面がなかったわけではないが、結果的には、最後まで大きな怪我や病気をせずに済んだ。運が良かったのだろう。この旅の道中ですれ違ったすべての運転手の安全運転があればこそだ。ありがたいことである。

そもそも、なぜこんなことをしたのか。一度やってみたかったという単純な理由が大きいように思う。あるいは、旅とゲームという、自分の好きな物事をかけ合わせたらどうなるのかという興味によるものだろうか。旅が好きになったというのも、元を辿れば昔遊んだポケモンや太閤立志伝や大航海時代などに影響を受けているわけで、その根源はやはりゲームだったのかもしれない。

旅をしながらプレイしていたゲームはOverwatchであったが、時期が違えば別のゲームだったであろう。FPS/TPSゲームは自分がハマっているジャンルのゲームであり、初めてこのジャンルのゲームを触ったのは10年近く前になるだろうか。10年みっちりやってきたわけではないので、時間に見合っただけの実力を有しているかどうかは怪しいところだが、いまだ思い入れのあるゲームジャンルではある。

Overwatchでは、レート戦に挑みながら旅をしていた。旅の途中でシーズンが始まり、レートは2500前後のゴールド~プラチナランクを行き来している状態だった。旅の途中でレート3000のダイヤモンドランクに到達することを一つの目標としてやっていたが、なかなか伸び悩みがあり難しかった。

その日の行程で歩いた距離が長かったりすると、疲労がプレイに影響を及ぼすこともあるように思った。藪の中をかき分けて進むような山道を踏破した後に、街中のネカフェでゲームをするような日もあり、そのギャップが面白くもあった。

毎回Overwatchの20GB近くあるクライアントを落とすのは時間がかかる上にネカフェの帯域にもよろしくないであろうから、クライアントファイルは予め外付けSSDに入れて持ち運び、ネカフェのパソコンにUSB接続して起動する形でプレイしていた。HDDではなくSSDにしたのは歩き旅という性質を考慮し、衝撃に強いものを選んだためである。4ヶ月近い旅を故障することなくやりきってくれた。

Windowsが32bit版でゲームを起動できなかったり、グラボの性能が足りずに40fps前後になったりと、満足にゲームをできないネカフェもあったものの、ほとんどは問題なくプレイできた。自前のマウスパッドを敷ける分だけ机が広く、椅子が可動式で高さ調整でき、キーボードがゲーミング向けのものであり、スペックの高いパソコンであれば最高である。他にも、アイスクリームが濃厚でおいしかったり、ゲーミングマウスが備え付けてあったり、デュアルディスプレイの席があったりと、ネカフェによって様々な特色があった。

それにしても、佐渡や石垣島という離島にあってもOverwatchができるほどのスペックを備えたパソコンが置いてあったことは驚きであった。やろうと思えばどこででもPC版Overwatchを楽しめる。ネカフェが全国に展開されつつある今だからこそできる旅だったのかもしれない。

佐渡は日本縦断という旅の主旨からすれば完全に寄り道になってしまうが、どうしても寄っておきたい理由が二つあった。一つはゲームとしての思い入れである。信長の野望シリーズでは金山を有する土地として、上杉家でプレイする際の資金源としてお世話になった(実際に史跡佐渡金山に行って資料を読んだところ、金の産出が始まったのは主に江戸時代以降らしい)。

もう一つは太宰治の短編小説「佐渡」である。

自分もまた、空虚を見てみたくなったのだろう(別に、佐渡の観光資源を貶しているわけではない、念のため)。旅に対する思い、あるいは人生観として、深く影響を受けたことも自分が佐渡へ足を運んだ理由であった。日程の関係上、金山を見るので精一杯であったが、おだやかな雰囲気が心地よく、お魚も地酒もおいしい。機会があれば、今度はトキを見に行きたい。

石垣島は沖縄の離島観光においてフェリーの航路が集まる要衝の地である。この旅でも波照間島や与那国島へ向かう拠点となった。石垣島のネカフェは二階に宿泊施設も備えており、一階で気が済むまでゲームをした後に二階のベッドで寝るという夢のような日々を過ごすことができた。せっかく石垣島まで来たのにそのような過ごし方はどうなのかという思いもあるが、それもまた一興ということにしておきたい。資金と時間が許せば1ヶ月でも2ヶ月でも過ごせそうなほどに快適な場所だった。こちらも機会があればまた行きたい。

この旅を経て、日本の広さを思い知った気がする。どこまでも果てしなく続く道。雄大な自然の風景。それぞれの町で生活を営む人たち。景色を写真に収めながら、自動車であれば30分で済むような距離を丸一日かけて歩く。改めて、文明の利器のありがたさを噛みしめることとなった。

旅の模様はTwitterのモーメントにまとめてある。これまでの旅の様子に興味を持たれた方は見ていただければと思う。道の写真ばかりで、途中からはあまり代わり映えしないかもしれない。

twitter.com

しかしながら、自分は何を成したのか。日本縦断といっても、別に珍しいことではない。北海道では特にそのような旅人を見かけることが多かった。自分よりずっとお年を召された方でも果敢に挑戦していたりする。さらには日本一周をする人だっている。明確な定義がなされているわけではないが、少なくとも日本縦断よりはるかに長い旅路となるものだ。自分は特別ではない。たしかにネカフェでゲームしながらというのは稀有だったかもしれないが、旅に付随するバリエーションの一種でしかない。

人は居る場所によって思考を規定されるのかもしれないと考えたことがある。場所を変えることでアイデアをひらめくとは経験的によく語られることだ。同じ場所に留まっていると同じ風景ばかり目にすることになり、思考も退屈な繰り返しに染まっていくのかもしれない。では日本縦断ともなれば、何かしらの変革がこの身にもたらされても良かったはずだったのだが、結局のところ変わったのは体重くらいなものである。内面的には大差ない。そもそも自分が変わろうとしなかったのだから、それが自然なことなのかもしれない。

自分は、同じ旅人が集うゲストハウスやドミトリー、キャンプ場などを極力避ける行程を取った。人と関わることに苦手意識を持っているためである。人と関わるならばいろいろと気を使わねばならぬという点から、旅人同士の交流も避けたいと思っていた。日本縦断中といった看板を荷物につけないで歩いていたのも、声をかけられる機会が増えることを避けてのことである。

もっとも、これには別の理由もある。自分は常々、旅をするならその町の素の景色の中を歩きたいと思っていた。自分の存在によって変化した町ではなく、いつもと変わらない、その町の日常空間を感じたいと思っている。

それでも、服装や荷物から自分を旅人だと察して声をかけてくれたり、差し入れまでくれる方もいた。これらは大いに勇気づけられた。人と話すだけで、先ほどまで疲れ切って歩いていたのが嘘のように、前に進む気力が漲ってくるのである。人と関わることを避けておきながら、人に触れてもらえると嬉しいと思うのは、自分でも虫のいい話に思う。しかしながら、そういう歪さが、紛れもない自分の姿なのかもしれない。

自分は変わらない。だが、この旅を通じて、自分の姿を再認識することはできたかもしれない。暑くけだるく果てしない道を進む中で、押し寄せる疲労と痛みと焦燥の中で、街灯のない暗闇が支配する道を歩く中で、動物が姿を現す環境の中で、熊が出るかもしれないという恐怖の中で、真横を通り抜ける大型トラックがもたらす死の予感の中で、自分自身をこれ以上ないほどじっくりと見つめてきた。

自分は意外にも頑丈だった。病院のお世話にならずに済んだ。自分は意外にも体力があった。なんだかんだで旅をやりおおせた。自分は意外にも根性があった。悪天候の中でもめげずに行程を消化していった。

自分は意外にも脆かった。かかとに水膨れができたり、肩や膝を痛めてテーピングに頼ることもあった。自分は意外にも力尽きた。ネカフェで寝た程度では全然疲れが取れなかった。自分は意外にも挫けようとした。足の痛みから逃げるように休憩を挟んだとき、もうやめて帰ろうかという考えがよぎった。

強いところも弱いところも、くるくると回るコインの表裏を眺めるように、自分自身を知っていった。これは自分の再発見であって変化ではない。それはそれでよかったと思う。やらずに終わって後悔せずにすむ。これだけ時間と労力を要することを行ったとしても、人は変わるとは限らない。

燃え尽き

旅から帰ってきた後の自分は陰鬱な有様であった。たしかに、日本縦断は夢だった。ずっとこういう旅をしてみたかった。観光ではなく冒険をしている気分になれた。かくして、ようやく夢は叶った。しかし、夢を叶えてしまったあとは、何をあてに生きていけばいいのだろう。

旅という大いなる白紙を埋めたことで、目標がなくなってしまった。旅をしている間は、日本縦断という明確な目標に向かって進む日々だった。1日に進む距離が日本地図からすれば微々たるものだったとしても、着実に目標に近づいていく日々だった。しかし、旅は終わった。他に何かやりたいことはあっただろうか。

思えば、これは昔からずっと棚上げしてきた課題ではなかっただろうか。自分は何のために生きるのか。そんなことを考えてみたところで答えは出ないのだから考えるなという教えもあるだろう。それでも、やはり納得がいかないのであった。

強いて言えば、自分にはゲームという楽しみがあった。Overwatchのレートは目標だった3000を超えた。本当は旅の途中で達成したかったものの、家に帰ってからの到達になった。やはり、やりなれた環境でプレイするというのは大きいのかもしれない。晴れてダイヤモンドランクである。しかし、それっきりOverwatchからは遠のいてしまった。次の目標を立てるなら3500のマスターランクであろうが、そこまで熱意が持たなかった。レベルの高い戦いを求められるにつれて、Overwatchは団体競技であることを再認識した。

自分は団体競技には向かない。これは野球でもサッカーでも何でもそうである。Overwatchだからどうとか、関わる人々がどうとかではなく、団体競技と自分における相性の問題であった。チームを強くしたいと願うなら、他人に対して働きかけなければならない。対人折衝、対人コミュニケーションを不得手とする自分はそこで躓くことになる。

今までやってきたFPS/TPSのほとんどは団体競技である。1on1のゲームもあるが、今更その道に入門するのはあまりにもハードルが高く思えた。団体競技はやらないと決めたなら、もはやプレイするゲームがない。そんな悶々とした時期を過ごしていた。自分からゲームを取り上げたら何が残るだろうか。無趣味に陥った。

無趣味とは、老後の人生を考えるうえでもよく取り沙汰される課題である。仕事をこなしてきて定年退職を迎え、いざ時間を手にしてもどうすれば良いのか分からない。趣味の一つでもあれば、それに打ち込むのも良いだろうし、趣味を介して人々と繋がるのも楽しいだろう。無趣味だったらどうするのか。

何か良い趣味はないかと思案して、いろいろと手を付けた物事のひとつに、青空文庫があった。いろいろな話を読み進めていくうちに、これはと思うものがあった。

狼疾記は大いに感銘を受けた。あれこれ人生の意義をこねくり回している自分の境遇に響くものがあった。何もせずにいても腹は減るし眠くもなる。それに対して食べたり寝たりしなければならない。食べるのも寝るのも健康でなければ楽しくない。少なくとも、進んで苦しみを味わいにいくことはない。楽しくありたい。そう願ってやりくりしている内に、勝手に人生は進んで、そのうち終わりを迎えるのだろう。それでいいじゃないか。

そうはいっても、しばらくは無趣味状態が続いた。この頃の当面の楽しみといえば、夏に公開されるポケモン映画が初代をテーマにしていて面白そうだということと、冬に発売されるスターウォーズバトルフロントの次回作をプレイしたいということくらいなものであった。それだけでは心許ないので、いろいろな物事に手を出す日々は続いた。その甲斐あってか、いくつか打ち込みたいと思えるものに出会えた。

競技エイミング

知られざる競技エイミングの世界。競技エイミングとは、モニター上に表示される的に対してポインタを合わせる精度と速度を競い合うものである。なぜ誰も知らないのか?そんなものはないからである。

これだけで済ましてしまうのは身も蓋もないので、少し掘り下げていきたい。昔からFPS/TPSゲームの上達において、AIM練習という課題は多くのプレイヤーの関心事であった。いかに正確に照準を合わせるか。いかに素早く相手を撃ち倒すか。

しかし、それはあくまでもゲームにおいて勝利を目指すための手段でしかなかった。AIM精度による勝負は徐々に差が詰まり拮抗するようになるので、マップの知識や味方との連携、情報収集、立ち回りを強化しようという話になる。

だが、手段としてのAIM練習ではなく、目的としてのAIM練習があってもいいのではないか。競技エイミングという概念は、的を狙う能力そのものを競い合う分野があってもいいのではないかという提案である。自分が勝手に言い出しただけであって、誰かの賛同を受けているわけではない。

しかし、この一年だけでも、Aim Hero3D Aim TrainerFPS Aim Trainerなど、様々なAIM練習ゲームの開発が進み、認知されるようになってきた。この分野の需要や注目の高さが伺えるように思う。ダーツやクレー射撃やアーチェリーのように、もともと的を狙うという行為には楽しみが秘められているのかもしれない。自分もまた、その魅力に惹きつけられたのだろう。

この言葉は戯れではない。世界一とは文字通り世界一である。共に日本を縦断したRazerMambaTEを、世界一のAIMerに使われたマウスにしてやりたい。新たな目標ができた。

家の中でモニターの前に座りながらでも、人は世界一に挑める。これは素晴らしいことだと思う。自己ベストがかかったプレイでじりじりと増していくプレッシャー、滲む手汗、薄くなる酸素、濃密な1秒、極限の緊張感。こうした刺激的な体験を味わえるのは競技エイミングの醍醐味といえよう。

暗号通貨・株

暗号通貨や株の取引を始めたのも今年だった。不労所得で生きていきたいというのも夢のひとつだった気がする。

手持ちの財産を三つに分け、一つを暗号通貨、一つを株や投資信託、一つを予備の貯金に割り当てた。チャートの見方、取引の考え方、テクニカル分析の手法など、いろいろな記事を読んで臨んだ。

暗号通貨はバブルと呼ばれる界隈であったにも関わらず、二度の大敗を喫した。一度は暴落に対する損切り(暴落といっても今の値を考えれば些細な下落であったが)、一度は信用売りに対する暴騰での踏み上げであった。この信用売りの失敗を受けて、今では現物売買を主にしている。序盤に大失敗を経験するというのは、この分野において典型的な経歴なのかもしれない。一時期は投入資産の三分の一を失う事態となった。

しかし、その後はじわじわと持ち直し、現時点ではそれなりの利益を生むに至った。投じた時間の総計を考えれば物足りない成果かもしれないが、市場から退場せずに済んだだけでも良しとしよう。

始めたばかりの頃はチャートの動きが四六時中気になったり、千円程度の含み益で利確するかどうかを悩んだり、1分足の動向に見入っていたりと、かなり神経質な立ち回りであったが、次第に長期足で見てトレンドを判断し、しかるべきタイミングを待って損切りや買い増しをする動きが身につくようになった。

いろいろな指標を試した結果、今はボリンジャーバンドと一目均衡表とRSIを主に参考にしている。特に一目均衡表はチャートを読む感覚を養う上で大いに役立ってくれたように思う。MACDクロスは暗号通貨においては若干後手後手に回ってしまう印象だったのでやめた。

主に投資判断は暗号通貨の方で行い、株や投資信託は資金を入れて放置という状態である。銘柄も将来性に基づく吟味というよりは趣味で選んでいる。例えば、よく食べにいく松屋であったり、よくPUBGの配信を見たりするプロゲーミングチームDetonatorのメインスポンサーであるAimingであったり、かつてサーバーを構築するうえでお世話になったさくらインターネットであったり、昔からいろいろな歴史ゲームを遊んできたコーエーテクモであったりと、終始そんな調子である。株価の変動があっても手をつけず長期保有することから、NISA口座を開いてやっている。

テクニカル分析は最低限身についてきたかもしれないが、ファンダメンタル分析の方はさっぱりである。いまだに四季報を読んだことがないし、財務諸表の見方もわかっていない。会社の業績を見て判断することはまだできていない。ただ、そのうち必要に迫られたらやるかもしれない。今のところは暗号通貨の方でキャピタルゲイン、株や投資信託の方でインカムゲインを狙う形でいる。

幸いにして今年度は確定申告を強いられる立場になりそうである。とはいえ再現性はなく、来年はどうなるかわからない。落ちている小銭を拾ったようなもので、ただ運が良かっただけとも言える。この調子が続くと踏んで守株待兎に陥る可能性は否めない。しかし、暗号通貨や株という世界を知らなければ落ちている小銭に気づくこともできなかったであろうから、多少勉強をした甲斐はあったのかもしれない。

ゲーム開発

やろうと思ったものの、何か形になる段階までには至っていない。どうにも手付かずのままに終わっている。ゲームや動画や配信など、周囲に娯楽の誘惑が多くて取り組めていないのかもしれない。嘆かわしいことである。

あるいは、目標がぼやけているのかもしれない。作りたいゲームはあっても、そこに至る道筋がまるで想像できていない。3Dモデルとは何なのか。ネットワーク対戦はどうするのか。サーバーは必要なのか。悩みは尽きない。

もっとコンパクトなゲームで、作るという行為そのものに慣れ親しんだ方が良いのかもしれない。幸いにして今なら作りたいものが思い浮かぶ。競技エイミングで触れた、AIM練習ゲームである。あれを自分でも作ってみたい。そんなことをなんとなく思っている。

どうせ作るならexeのダウンロードをせず、Web上ですぐ実行できた方が遊んでもらいやすいだろうと考え、HTML5+JavaScriptで何かできないかと探し、enchant.jsを試してみようと思い立ったところで、JSのライブラリ管理って今はどうやるんだろうと疑問が生じ、webpackが良いらしいということでドキュメントを読み進め、せっかくだから開発環境を整えようとVSCodeをインストールし、HTMLファイルをライブプレビューしてくれるプラグインを導入し、コマンドラインから触っても作業ができるようにChocolatey経由でgitやopensshやnpmなど必要なものをインストールしたり、といった具合でヤクの毛刈りに勤しんでいる。

Windowsで開発環境を作っているのは、ゲーミングPCの潤沢なリソースを活かしたいというのもあるが、単にゲームを遊ぶついでに触る時間が多いためである。MacBookやiMacも一時期使っていたものの、ゲームの欲求に流されて起動することがなくなってしまった。必要に迫られればまた引っ張り出して使いたい。

開発環境はある程度整ったものの、肝心のその先には進めていない。形が目に見えてくる段階になれば楽しくなってきて自然とのめり込めるだろうが、それまでが長い。来年こそはと去年も思っていたのだ。やる気が生じるその日まで、ひたすらエディタを起動するしかない。起動しないことには、絶対に触ることもないのだから。

来年に向けて

来年の今頃はどうなっているだろうと思いを馳せるとき、最初に思うのは死についてである。別に余命宣告されたわけでも、持病を患っているわけでもないが、それでも人である以上はいずれ来年を迎えることのないときがやってくるわけで、どうしてもそれを考えてしまう。ともすれば、この文章が自分の書く最後の文章かもしれない。それは誰にも分からない。

死んでしまった人間に対して、後から感謝の意を伝えることはできない。それは逆もまた然りで、死んでしまってからはお世話になった人たちに感謝することはできない。今の自分は、様々な事情の積み重ねの中に生じたバグのような存在である。自分の力だけでこの状態に至ることはなかった。運が良かったとも言えるし、こんな自分の周囲に居てくれる人たちのおかげとも言える。ありがたいことである。

一つ書いておきたいとすれば、今の自分はわりと幸せであるということだ。今年の前半頃こそ燃え尽きていたものの、なんだかんだで活力を取り戻しつつある。これまでの選択が最良だったのかどうかは分からないものの、少なくとも、その選択に殉じても悔いはないと思えるようになった。

自分は、何を成しても何者にもなれないだろうという気がしている。そして、それはそれで良いのかもしれないとも思っている。どうせ生まれたからには何か大きいことをしてみたいものだという時期もあったが、時間を経て考えがアップデートされたようだ。自分が成したことが大きいことかどうかは後世が決める。自分は、自分の探求したい道を進んでみることにしたい。その道がたとえ歴史の影に埋もれるものであったとしても構わない。そのような生き方をしたのなら、悔いは残らない。