I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

別離を思う

自分でも何故かは分からないけれども、身近な人たちとの別離について考えていた。何か悪い夢でも見たのかもしれない。自分は末弟ゆえに、順当にいけば最後までこの世界に踏みとどまることになる。そして、順当にいけば自分には結婚相手も子供もいないであろうから、いわゆる天涯孤独となるのだろう。そうなったとき、この世界は自分にとってどのように映るのだろうか。無償の信頼、無償の愛情を共有できる存在がいなくなることで、強烈な孤独に苛まれるのかもしれない。1人でいる方が気楽と感じる自分ですら押しつぶされるほどの孤独があるとすれば、いったいどのようなものだろう。まったく想像がつかない。

 

自分が初めて人との別離を体験したのは、中学生の頃であった。別の学校から赴任してきた先生で、自分の部活の顧問の一員にもなった。先生は老齢で、腎臓を悪くしていたらしく、透析をしながら勤めていたらしい。夏場にみんながバテて動きが悪くなっている中で、お前はちゃんと頑張ってるなと声をかけてもらった思い出は、今でも覚えている。ただ、間もなく入院することになり、そのまま今生の別れとなってしまった。関わる期間が短かったため、そこまで深い交流はできなかったものの、もうこの地上のどこを捜し歩いてもあの人には会えないのだなと思うと、何ともいえない寂しさを感じるのであった。

 

長生きすればするだけ、多くの人を見送ることになる。今生きている老齢の人たちにとっては、誰もが通った道であろうし、珍しいことでもあるまい。しかし、いざ自分がその道を歩むことを考えると、気が滅入ってくる。ネットでやり取りしている人たちも、いずれはそういう日を迎えることになるのだろう。運が悪ければ、連絡が途絶えてそれっきりで、知人や家族はそのアカウントのことを知らず、弔意を表する機会もないまま終わってしまうのかもしれない。自分を知る人たちがどんどん消えていく世界。その後を生きる辛さを思えば、いっそのこと一番乗りで旅立ってしまいたいという気持ちもあるが、そうもいかないのだろう。

 

自分とて、ネットゲームをつけっぱなしのまま、キーボードにもたれかかった腐乱死体として、後日発見されるという末路を辿らないとも限らない。自分としては一向に構わないのだが、片付ける人が面倒でかわいそうだなとは思う。死期を悟ったら、部屋にビニールを敷いて過ごした方が良いのだろうか。あるいは、近場の誰かと顔を合わせる機会を作った方が良いのかもしれない。老人といえばゲートボールである。しかし、白熱するあまり凶行に走った人が居たという話を聞いたことがある。一人でのんびりできる盆栽でもやって、たまに意見交換するくらいが良いのだろうか。思えば、老齢の方々は代々そうやって寂しさを紛らわせて来たのかもしれない。

 

将来を考えたところで、無用な不安を煽るだけにも思える。案外、その時になってみれば、それはそれで元気にやっていけるのかもしれない。そう思っておくことにしよう。