I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

能力とアイデンティティ

自分よりうまい人なんていくらでもいる。仕事でも趣味でも。ありとあらゆる分野において。1位は1人しかいないのだから、構造的にそうなるというのは、頭の上では分かっている。それでも、他に代替や上位互換が居るという事実は、自分の存在意義を脅かす。

 

自分のアイデンティティの拠り所としていた能力が、その能力を有する集団に属することで埋没してしまうこともある。その能力を認められて集団に入れたのに、その能力というアイデンティティを奪われるのは皮肉である。その集団においてその能力を持っていることは特徴にならず、当たり前のことなのである。

 

自分は、これを高校時代に体験した。高校受験を控えて、塾の講師に、お前は口下手なんだから勉学を頑張らないと、などと言われたことが今も記憶に残っている。それは、自分でも分かっていた。面白い話ができるわけでも、顔が良いわけでも、気を利かせるわけでもないのだから。要するに、勉学の優秀さによってしか価値を認められないということである。頭が良いねということだけが、自分への興味関心を生み出していたということである。それだけでやってきた人間が、それが当然とされる場所に属するとどうなるかなど、想像もつかなかった。

 

高校での自分は何者でもなかった。表面的には穏やかな時が流れていたものの、真綿で首を絞められるような日々だった。結局、ろくに人間関係を築くことはできなかった。友人と呼べる人はいなかった。いろいろなやり取りがあっても、どこか余所余所しい気がした。今まで他人との交流で自分を支えてくれた、頼みの綱のゲームも、高校では家が遠くてそうできるものではない。ついにはその勉学すらも覚束なくなる。テストで0点なんて漫画やアニメでしか見たことがなかったが、3年生になってそれを手にすることもあった。そんな状況でも卒業できたのは、温情を賜ったものとしか思えない。

 

周りは良い人ばかりであった。彼らには何の落ち度もない。ただ自分が、勝手に堕落していっただけなのだ。自分はここに居ていい人間なのかという疑念。そういう、心の内圧に屈したのだろう。もっと自信を持てばいいとか、誰もそんなこと気にしないとか、それはごもっともな話である。しかし、自分にはできなかった。ついには、自責の念に苛まれ、自分から一方的に連絡を絶ち、姿を消すまでに至る。今でも、彼らには会わせる顔がない。もっとうまいやりようもあったかもしれないが、それが当時の限界だった。

 

過去を悔いても過去は変わらないので、今後の糧とする他ない。能力に依ったアイデンティティは、より上位の人が現れたり能力が衰えたりすると、危機に晒されてしまう。無駄なことを愛するというのは、この問題に対する一つの答えになりうるような気がする。