I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

人の名前を呼べない

自分の振る舞いを振り返ってみると、人の名前を呼ぶことがほとんどないということに気が付いた。あなたとかお前などの二人称すら滅多に使わない。話の内容や話しかけ方から、誰に対する発言なのかはだいたい分かるため、案外なんとかなってしまうものである。

 

人を呼ぶというのは、それだけで親睦を深める効果があるような気がする。大げさかもしれないが、名前を呼ばれることでその人に存在を認めてもらったように思えるのではないかと想像する。ちょっとした用事でも、ちゃんと名前で呼んであげた方が良さそうだ。それとも、人の名前は気安く呼ばないよう控えた方が良いのだろうか。

 

古代においては、当人の名前を呼ぶのは失礼ということで、別の名前や文字を用いて当人を指し示す諱(いみな)や字(あざな)という文化があったらしい。時の皇帝の名前に使われている文字を日常生活においても避けるというのはなかなか興味深い風習であったが、今はそこまですることもないだろう。

 

自分の場合、敬意というよりは、人の名前を呼ぶのが恥ずかしいという思いを抱いてしまうようだ。名前を呼び合えるような、親密な間柄を想像させるからだろうか。あるいは、自分ごときが慣れ慣れしくして良いのかという懸念だろうか。用事があって誰かを呼び止めるときには大丈夫でも、雑談や遊びの場においてはうまくいかない。

 

子供のころ、スポーツなどでチームを決める際に、お互いのチームの代表が順番にメンバーを選んでいくという機会があったが、それがひどく苦手であった。周りの人が見ている中で、メンバーを選んだ上に、名前を呼ばなければならない。人選という行為も、名前を呼ぶという行為も、どちらも苦手だったのだ。まるで、自分の人間関係が白日の下に晒されるかのような、そんな思いがしたからである。いたずらに時間を消費し、結局周りの支えでその場はなんとかやり過ごせたという有様である。

 

結局のところ、考えすぎのような気がしないでもない。しかし、そういう遠慮がどうしてもちらついてしまうのは、自分ごときで大丈夫なのかという疑りが原因なのだろうか。気にしないという言葉を真に受けて本当に気にしなければ、それは傍若無人であって、忌避されてしまうのだ。そのさじ加減が分からないから、必要以上に恐れているのか。別に悪意を抱いているわけでもないのに、関わり方が下手すぎて相手に失望させることもある気がする。それも含めて考えすぎなのか。難しい。