I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

ゲームと共に

自分の人生はゲームと共にあったといっても過言ではない。偶然にも兄弟のお下がりを遊ぶ機会に恵まれて、それからはずっと、何かしらのゲームをやっていた。生き甲斐と言ってもいい。

 

自分のように会話が苦手な部類であっても友人ができたのは、ゲームに依るところが大きかった。自分の人間的魅力というよりは、家にゲームがいろいろと転がっていたからこそ、交友関係が繋ぎ止められていたのかもしれない。わざわざ自分と繋がりを持ってくれた人の関係を打算として評価するのは、相手にも失礼な話かもしれないが、そういう一面があったことは否めない。

 

別に、それはそれでよかった。ゲームを通じて、いろいろな人と交流できた。自分の力だけでは到底できなかったことである。いわゆるテレビゲームだけでなく、ボールを使って遊ぶようなこともまた、他の人と関わる上で重要なものだった。転校して間もなく、心細い状態の自分を支えてくれたのも遊びだった。まだ顔と名前の一致も怪しく、旧来よりの人見知りな性質も相まって難儀していたところを、休み時間に遊びに誘ってもらえたことが、どれほどの救いになったことか。

 

自分の人生を長い目で見れば、ゲームによって狂ってしまったといえるところもあるかもしれない。良いことばかりではなく、当然、悪いこともいろいろとあった。ゲームが原因で他のことがおろそかになったり、ゲームを巡って争いが起きたりもした。単に、子供だったからかもしれない。悪い面があることは否めない。しかし、清濁併せてなお、ゲームに対する興味は尽きないし、これからの自分の人生も、何らかの形で関わり続けるのだろうなと思う。

 

ゲームは、社会的な評価が低い状態を経て今日までやってきたように思う。自分が生まれるより前の世界を、自分が述べたところで薄っぺらいのは承知しているが、大いに苦労があったと聞いている。それでも少しずつ、ゲームに対する理解を持った人たちが増えてきたように思う。生まれた頃からゲームがあった人たちにとっては、それは自然なことなのかもしれない。

 

自分は、あまり長生きに対して魅力を感じない。しかし、唯一楽しみなことがある。上から下まで、すべての世代がゲームに親しんだ世代になる頃の世界である。仕事を引退して、還暦を迎えた人たち向けのゲーム大会が開かれるような、そんな時代をこの目で見てみたい。その頃には、同年代との交流だけでなく、世代間の交流も、ゲームで成し遂げられるのだろう。自分にとっては夢のような話である。たとえ生きている間に拝めなくとも、そういう世がやってくることを願う。