I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

語れないということ

自分が好む分野が話題になっていても、なかなか口を挟めないでいることが多かった。いろいろな解釈や体験を聞いていてとても楽しいのだが、自分は何も語れない。本意とは裏腹に、妙によそよそしく、まるでその分野を知らない人かのような態度を取ってしまうこともあった。

 

あまり積極的に語らないのは、結局のところ、その分野を語れるほど詳しくないからだ。謙遜ではなく、本当に知らないのだから仕方がない。ない袖は振れない。それでも何かを語ろうと無理をすれば、的外れで、つまらぬことを述べてしまうかもしれない。語るというのは、それだけで聞く人の時間を奪う。自分が語っている間は、他の人は語れない。その場にいる人が多いほど、多くの時間を奪う。そのコストに見合うだけの何かを語らねばという重圧に耐えられない。別に自分でなくてもいい。もっと詳しい人に任せてしまえばいい。

 

しかしながら、人の意見や考え方を聞くのは興味深いものである。間違っている理解かもしれないし、先人がすでに通り過ぎた考え方かもしれない。それでも、今ここにいるその人の意見が聞きたいという人だっていることだろう。その人の主観を味わいたいのだ。長い目で見れば未熟かもしれないが、今この時点でどういう考え方を抱いているのか、ということが重要であり、興味の対象なのだ。だから、気兼ねなく語ればいい。

 

好きに語ればいいと励まされてもなお、自分のような性分の人はなかなか踏ん切りがつかない。そうはいってもやはり、という調子である。そういう場合は、わざとハードルを下げるようなことをするといいのかもしれない。そんなものでも大丈夫なのだ、という程度の話題を場に持ち込む。そうすれば、場にふさわしくないと口を閉ざしがちの人であっても、話題を提供しやすくなるかもしれない。

 

要するに、先ず隗より始めよ、ということである。これは、どうすれば賢者を招くことができるだろうかという問いに対して、まず自分のような凡人を取り立てることで、かのような凡人ですら優遇されるという噂を聞きつければ、近隣諸国から賢者が集ってくることだろう、という献策で応えた故事である。自分はこの故事が好きだ。自分のような凡人でも、やりようによっては役立つというところが面白い。何の有用性もないこのブログも、他の誰かが文章で自己表現するハードルを下げる効果があると見做すなら、無いよりはマシと考えることもできるかもしれない。