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競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

他人から指摘を得る

他人から、自分の至らぬ点を指摘されるというのは、あまり気持ちがいいものではない。しかし、さらなる改善のためには必要となってくる。自分の立ち振る舞いは、案外自分では分からないようだ。スポーツ選手が自分の動きを録画して見直したり、専属のコーチを頼んだりするのは、客観的な視点で自分の現状を把握するためなのだろう。自分では気が付かないことを指摘してくれる存在は重要だ。

 

しかし、他人からの指摘はなかなか得られるものではない。相手に嫌われてしまうかもしれないという、そんな危険を帯びた行為だからだ。わざわざ相手の不興を買ってしまうリスクを負ってまで、相手のためになることをする人というのは、なかなか居ないように思える。あいつは嫌な奴だと言われて終わってしまうことを考えると、報われないし、馬鹿らしくもなる。放置するのが正解だと、見放されてしまうことだってありうるだろう。指摘するというのは、それほど大変なことなのだ。だからこそ、指摘を受けようと思うのなら、指摘してくれた人を大切にする必要がある。そんなことをわざわざ言わせてしまって済まないと、感謝と尊敬の念をもって指摘してくれた人を迎え入れることで、さらなる指摘を呼び込むようにすると良さそうだ。

 

といっても、口だけ何でも言ってくれて構わないと宣言したところで、それが信頼されなければ、やはり誰も指摘してはくれない。これには、日頃からの態度も関わってくるように思う。怒りっぽく、些細なことで罵るような言動を普段から人に見せていれば、何か指摘した際にも同様の振る舞いを取り、自分の身が危機に晒されるかもしれないと思われてしまう。反対意見をぞんざいに扱い、内容とは無関係の事柄で退け、指摘してくれた人を貶すような行為を取れば、指摘してくれる人はやがていなくなってしまうことだろう。

 

他人に攻撃的な姿勢を見せないというのは、自分のためでもあるのだ。たとえどれほど相手に非があるようなことであっても、必要以上にその責を咎めたり、執拗に貶したり、猛烈に怒りを露わにしたりする姿を見た人は、条件さえ整えばその刃が自分に向けられることもあるのだと考える。身を慎み、他人の意見を尊重する姿勢を普段から心がけたい。

 

ただ、指摘というのがすべて的を射たものであるとは限らない。それは、指摘する側もまた人間である以上、仕方のないことだ。尊重はするが、鵜呑みにはしない。一つの考え方として検討し、良ければ採用する。真摯に向き合っていれば、たとえ功をなすことがなかったとしても、また次の機会に指摘してくれることだろう。