I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

孤独な信号待ち

横断歩道の歩行者用信号機が赤を灯している。青に変わるまで待たねばならない。そういう決まりである。他ならぬ自分が危機に晒されるのだから、信号を守ることに異存はない。しかし、早朝や深夜など、周りに人が居なくなる状況がある。誰も見ていない。車も来ない。こういう状況で、はたして信号を守る必要はあるのだろうか。

 

信号を無視するというのは、ルールを破るということだ。悪事である。しかし、そもそも何のために信号を守るのかという目的を辿って考えてみると、歩行者の安全や車両通行の秩序を保つためである。人も車もいないのであれば、信号も必要性がないと言えなくもない。また、誰も見ていないという前提であれば、他の人にルールを軽視させるきっかけを作るという悪影響を考慮する必要もなくなる。信号待ちの時間を短縮するというメリットを、デメリットなしに享受することができる。その立場を取るのであれば、これは悪事ではなく、工夫である。安全を確保した上で、最適化を施した結果といえる。ルールを破ってはいるものの、誰もそれを観測し得ないし、誰にも害をなしていない。

 

だから、渡ってもいい。人が居ようが居まいが、律儀にその職責を果たす信号機を眺めながら、そんなことをぼんやり考えていた。悪事と工夫とは、紙一重なのかもしれない。渡ったところでデメリットはない。デメリットがないならやればいい。誰にも迷惑はかからない。

 

しかし、あまり気が進まない。そうまでして、自分は何をするんだろう。その数十秒を惜しむほどの人生を、自分は送っていただろうか。誰も見ていないとは言っても、自分はそれを知ってしまうのだ。自分は、目先の小利に釣られて規則を曲げるような、そんな程度の男だということを知ってしまうのだ。それがよくない。自分に対する誇りの問題である。あるいは、自分の無意識に対する変な刷り込みを避けたいという思いもある。普段から信号を軽視していたなら、酒に酔って前後不覚になった段階に至っても、同じく信号を軽視することだろう。初めから信号を守るという意識を持っておいた方が、自分の身を無意識に委ねる状況になっても、自分の身を守ることに繋がる。

 

そんなことを考えているうちに、信号は青になった。これで良いのかもしれない。無駄な時間を愛してしまおう。適当なことを考える時間として楽しめばいい。それもまた人生なのだろう。