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競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

内向的な性格

 自分は内向的な性格だと思う。少なくとも、積極的に誰かを誘って遊びに行ったり、面白い話で場を盛り上げたり、知らない人に声をかけて交友関係を広めたり、といったことにはあまり縁がない。

 

声も大きくなく、通りが悪い。居酒屋など、周りが賑やかな環境だったりすると、まともに喋れなくなってしまう。自分の声が聞こえにくくなることで、自信をもって発声できなくなるためだ。他の人の会話を聞きながら、なんとなく会話に参加している風の相槌を打ちつつ、テーブルの隅で地蔵になっているのが常だった。同様に、集団で道を歩いているときに会話するのも苦手だ。町の喧騒が気になって、発話に集中できない。そんなわけで、偶数のパーティであっても一人で後衛を務めることが多かった。何のことか分からないかもしれないが、自分と同類の人には伝わることだろう。

 

そういう自分を、あまり肯定的に捉えることができないでいた。内向的と外向的を比べると、何かと外向的な方が良いような印象を受ける。明るく、楽しく、元気良い人の方が、そりゃあいいだろうという風に思う。文句のつけようがない。そうやって考えるたびに、自分の情けなさを再認識させられる。

 

そんな風に自己評価が低かった自分の救いになる考え方が書かれた本があった。昔の話なので、どんなタイトルだったかは思い出せない。心理学系の、交友に関するテーマの本だったような気がする。その本の中で、内向的性格について触れている部分があった。曰く、内向的な性格は、外向的な性格に比べて劣っているわけではなく、それぞれに良さがあるのだという。読書や思索など、一人でしかできないことを深く取り組むことができるとか、発想や個性が豊かになるとか、そんな擁護が並んでいたと記憶している。外向的な人にだって、そういう人はいるだろうけれども、要するに、優劣ではなく種類が違うのだという考え方が、いくらか救いになった気がする。

 

声が小さくて聞き取り辛いということでさえ、利点と捉える考え方もあった。一見するとマイナス要素でしかないけれども、声が小さければ聞き手はより集中して話を聞くことになり、言葉に重みが出るという。目から鱗であった。そんな発想をしてもいいんだと思った。声が大きく聞き取りやすいというのは、どんな状況であれ無条件に肯定される絶対的な正義とさえ思っていたのに。自分はそれを持たざる者だと考えていたのに。発想をひとつ変えてみるだけで、欠点は特徴に変化した。それが驚きだった。

 

世の中の人間、みんながみんな同じ性分を目指す必要はないだろう。いろいろな人が居た方が面白いはず。開き直っているようで恐縮だけど、自分はこれができないから駄目だと思うより、そういう特徴なのだと捉えて、どうやって活かすか考えた方が幸せになれるのかもしれない。