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競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

勝利を目的にするということ

勝ちたいと思う。それは自然なことだ。別に悪いことじゃない。対戦ゲームは勝ちを競い合うゲーム。お互いに戦略を練り、自身の持てる能力を発揮し、勝利を目指す。勝負の行方を巡って生じる相手との駆け引きこそ、対戦ゲームの醍醐味といえる。

 

ただ、いろいろなゲームをやってきて、ある考えを抱くようにもなってきた。勝利を目指す対戦ゲームにおいて逆説的な発想ではあるが、勝つことのみを目的にしていいのだろうか。

 

なぜそんなことを考えるのだろう。勝敗を極端に気にかけるあまり、ゲームを楽しめていない自分を発見したからかもしれない。負けると悔しい。それはいい。そういうものだ。悔しさをばねに、次への闘志を燃やせばいい。だが、悔しさを通り越して、負けると時間を無駄にしたような、くだらないと吐き捨てるような、そんな感覚にまで陥ってしまうことがある。楽しむためにゲームをやっているのに、見返りの無い苦行を味わっただけで終わったような気持ち。不満や苛立ちを抱え込み、重症になるとゲームから遠ざかったりもする。試合における目的が勝利しかない場合、その目的が果たせなかったとき、その試合はすべて徒労だったという結論になってしまう。何も得るものがない。ゆえにむなしく、腹立たしい。

 

どのゲームでも、触り始めの頃は気にならない。誰もが初心者で、勝負の行方にこだわる段階ではない。ゲームに親しんで、ゲームを楽しむ。それで十分だと、自然に思える時期だからだ。無意識の内に、勝利以外の目的を持ってプレイしている。試合の結果がどうなろうとも、勝利以外の目的に関して得るものがある。勝利にこだわるというのは、ある意味、そのゲームでそれくらいしかやることがなくなってしまった段階と言えるのかもしれない。

 

例えば学校などで、休み時間を使って仲間とサッカーをしたりするだろう。そのサッカーにおいて、勝敗はさして重要ではなかったように思う。その試合において目的とされているのは、勝利ではなく、各々がうまいプレイをできたかどうか、仲間と親睦を深めることができたかどうか、ボールを追いかけて汗を流し楽しめたかどうか、というところにあったはずだ。それと同じことを、ゲームでも目指してみると良いのではないか。

 

勝ちにこだわるのも楽しみ方ではある。しかし、常に勝てるわけではない。勝負は時の運ということばの通り、どれだけこだわって考え抜いても、やはり負けてしまうときはある。どれほど強者同士であっても、戦えばどちらかが負けてしまう。そういう仕組みなのだから仕方がない。ゲームの強さに自信がある場合、負けると自分の能力が毀損されたような感覚に陥り、その反動として怒りっぽくなったりすることもある。だが、冷静に考えてみれば、1試合の結果だけで強いかどうかなど分からない。勝敗ではなく、プレイヤーとして最善を尽くせたかどうかに着目した方が、より長くゲームを楽しめるのではないか。嫌になって辞めてしまえばそれまでである。続けることができなければ、強くなるも勝ちにこだわるもない。

 

また、対戦ゲームというのは、相手があって初めて成立するものだということを思い返す必要があるように思う。勝利を巡って競い合うゲームでありながら、勝利が全てではない。ここは、大いに異論がありそうなところだとは思う。しかし、試合に勝っても賞賛されなかったり、強さを認められなかったりする場合があるというのは、経験則として身に覚えがあるのではないだろうか。仮に、本当に勝ちだけを志向するならば、どんなに消極的な作戦であっても採用することになるだろう。命がけの戦争ならそれでいい。しかしこれはゲームだ。相手を失えば、ゲーム自体できなくなる。試合に勝ったからといって、相手が愛想を尽かしてコミュニティから姿を消してしまうとどうなることだろう。誰にも相手されない、孤独な空間で一人勝利を誇ったところで、むなしいだけではないだろうか。

 

個人的には、成長や試行に軸をおくのが良いと考えている。確立された戦法だけでなく、いろいろな組み合わせを考えたり、試したりする。強さとは、その過程で自然と磨かれてくるものではないだろうか。その場限りの勝った負けたで一喜一憂するのではなく、何かしら自分の中に残るものがあるように、毎試合を過ごしていきたい。