I'm pleasewait

競技エイミング・FPS/TPS ゲームに関することや取り留めの無い日記など

はじめに

小学生の頃、作文の時間が苦手だった。文章の書き出しに毎回苦労してしまう。

 

何を書けばいいのか、その方向性がどうにも定まらず、受け取ったままの白い原稿用紙を前にただ呆然と過ごしていることが多かった。いつもそんな調子だったので、進捗具合について先生に不安を感じさせてしまったかもしれない。しかし不思議なことに、一度書き始めるとその後は楽だった。適当に考えを転がして、文字数を稼ぐ。雪球を転がすかのように、頼りなかった一抹の文章は次第に成長していった。勢いに任せて進めた文章。質よりも、作文の使命を完遂することを考えていた。あまり誉れたことではない。

 

今でも書き出しは苦手のようで、ブログを開設して初めての記事となるこの文章も、何度か書き出しては消してを繰り返して、ようやくここまでたどり着いたものである。頭の中であれこれと考えることは好きなのだけれども、それを文章として出力するにはまだ時間がかかるらしい。町を歩くときや電車を待つときなど、暇でしょうがないときに何かを考える。といっても、何か高尚なことを考えているわけではない。大抵は俗っぽく、何の用にも立たないようなことを考えている。まるでこの文章のように。

 

特に価値があるわけではない。でも、そういうのが好きだったりする。何の意味もなくていい。無価値。無駄。無意味。そんな事柄に時間を費やす。これこそ至高の贅沢だと個人的には思っている。この文脈で列挙してしまうと失礼な話になってしまうかもしれないが、自分がゲーム・天文・哲学・旅行などといった分野に興味があるのも、元を辿ればそういう性分によるものなのかもしれない。今後、そういった話題を書くことが多くなることが予想されるが、自分でも先のことはよく分からない。

 

冷静に考えてみれば、別にチラシの裏に書くのでも良かったのではないか。思考を文章に落とし込む時間の短縮を目指したいのならそれでも事足りるし、後から過去の自分を振り返るという目的も果たせる。わざわざ他人の目に触れる場所に文章を書く必要はあったのか。そういう疑念が湧き起こる。作文に対する集中を切らして目を逸らすと、「この記事を削除」ボタンが視界に飛び込んでくる。ああ。

 

いや、あるにはある。人の目に触れるということは、評価されるということでもある。自分はそろそろ、評価されることに慣れないといけない。そんな気がする。自分の能力の無さ、才能の無さと向き合わなければならない。自分は大したことのない存在なのだと。世界の主人公ではなく、数多の人々の中の一人として、自分を位置づけなければならない。

 

自分の考えを人に伝えるということは、自分の脆さや底の浅さをさらけ出すことになるかもしれない。とても怖いものだ。でも、だからといって、無言を貫いていていいものだろうか。幸いにして、自分は人当たりが良い方らしい。余計なことを言わず、黙っていれば大きなマイナスにはならないかもしれない。何もせずとも、相手の方が良い方向に解釈してくれる。なるほど楽ではある。だが、それに甘んじてしまっていいのだろうか。それはまるで、美術館で白紙を額縁に飾っているようなものだ。見る側が好きなように解釈できる。不快にはなるまい。しかし、白紙は白紙だ。それ以上でも以下でもない。たしかに、なんらかの理念があるならば、それもまた芸術と呼べるかもしれない。だが、自分の場合は、絵を裏返して伏せていると言った方が近い。何か考えあってのことではない。自分が評価されることを恐れた、消極的な態度である。これを変えたいというのも、このブログを始めた動機のひとつと言えるかもしれない。

 

自分の文章は、何の用に立つわけでもない。これは変わらない。だが、個人的にはそういうのが好きだ。世界は広い。もしかすると、他にもそういう人が居るかもしれない。他人の主観というのは、どれだけお金を積んでも体験できるものではない。だから、主観を垣間見るのは楽しい。今まで、ネットで様々な文章を読んで楽しんできた。自分もその楽しみを提供して、誰かの楽しみとなってくれたなら、幸いなことである。